管理人名: kwiim
所在地 : 大阪市内
家 族 : 息子と2人
生年月日: 昭和46年12月
現在 市内の派遣会社で勤務
子供が産まれるまで、日本各地、海外少々と海を潜り渡って(?)いました。
でも、そんなにお金が続くわけがない(どんなに貧乏旅でも…)
ダイビング以外何もすることなかったし、
したいこともなかった私は沖縄の離島に、
最終自分の居場所探しの旅へ(年も年だし…)
でも創簡単に「ここだ!」と思う場所に出会えず諦め帰ろうとしていた
船の中である離島を教えられました。
「お金ももうわずかしかないし、どうせなぁ..と諦め半分
「ここまで来たんだし」と行って見る事に。
島に着いても良いも悪いも感じず、とりあえずレンタル自転車を借りて
島巡りをしようと行ったお店のおじさんが「ここで店すれば?」
私「んっ?何言ってるのぉ?」そのまま店を出て自転車で回ってる時もずっとおじさんの言葉が気になっていました。今まで全く考えていなかったけれど地元に帰っても、やることもないし、もちろん仕事だってない。
でも気づくと、島にはどんなお店があるか?ここは空き店舗かな?って
探していました。ちょっと気になる空き店舗があり、
すぐおじさんの所へ戻り「ここは空き店舗?家賃いくら?」
って聞いていました。
さすがに離島(失礼)家賃は大阪のワンルームより安くおまけに
保証金もない。
私はどうせ大阪に帰っても何かしなければならないし、
年齢的にも仕事探し難しいなぁと思っていたので移住する事に。
自分で決めればすぐ行動の私は早速、大阪に戻り移住準備。
とにかく少しでもお金を増やそうと持っていた家具を全て売り
(大したお金になりませんでしたが)
後は何とかなる!の一心で沖縄へ。
お店はほとんど手作り。予算がなかったのもあったし、手作りってゆうのも
憧れてたし。徐々に友人も増え、何故だか夏休みは子供たちの溜まり場に。
「ここは保育所かぁ?」ってよく言われました。
お店の売上が悪くても所詮私1人、何とか食べてけるって思っていて何より
毎日が楽しくて、大好きな海も目の前でずっとずっと住んでいたかった。
でも、そんな素敵な日々は続かず、好きな人ができ、妊娠。
子供を諦められない私は、大阪へ帰ることに。
田舎の素敵さを知った私は、大阪の都会での生活が嫌で仕方なかった。
でも、子供産む為にお金が必要。
とりあえず派遣会社に登録して、妊娠8ヶ月まで働き、子供を産む時は絶対
海のそばって決めていたのもあり、今度は大きなお腹で鹿児島の離島へ。
産まれるまで、アパートを借り、ネットで内職をしたり、
オークションに出品したりしてわずかの収入で生活していました。
待望の子供が産まれ、大反対していた両親が島までやってきて、
両親の説得と我が子の顔を見て、大阪へ帰ることに(息子生後半月の時)
大阪で親戚の倉庫(ワンルームのような)借り、
大阪での何年かぶりの生活がスタート!
島へ帰りたい気持ちは常にあったけれど、息子との生活を考えると
今はとにかく「この子を食べさせないと」という思いで、必死でした。
保育所はどこもいっぱいでけることできず、家で何かしなくてはと
思い始めたのが、ネットで探した内職。
詐欺話も多く、何度も何度も失敗繰り返しながら、何とか1年が過ぎ、
ようやく春から保育所にも入所でき、これからの事考えると家で仕事して、
息子に寂しい思いさせないようにしないと。
ちょうど自宅で出来る経理の仕事をもらえたので合間に、その時少し
勉強していアフィリエイトを、現在もサイト作っては作り直しの
日々を送っています。(まだまだ収入にはなっていませんが)
今の派遣会社は本当にヒョンな所から決まりました。
以前登録した派遣会社から電話があり、
「事務員が辞めたので1週間だけ電話番来てくれない?」
1週間かぁ、多少でも収入になるな」と思い、行ったのがきっかけ。
1週間が、2週間になり、決済終わるまでと、3ヶ月延長になり…
今に至っています
本当、人生って分からないですね、行く予定なかった沖縄の島に移住し、
まさか子供できるなんて思ってなかったのが、母になり、
1週間の電話番が社員になり。
まだ私の、「家での仕事する」ことは実現していませんが、息子が小学生に
上がるまでに実現しようと日々頑張っています。
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